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Category : 山の手・下町下町

下町の特徴と範囲

東京の中で、私なりにイメージした「下町っぽさ」をいくつか挙げてみると、以下のようなことだろうか。


これらがどこにでも当てはまるわけではない。
23区東側で整理すると、下表のようになる。

路地町工場植木鉢野良猫塀少ない道路整備
都心部(日本橋・神田・銀座・芝)
区画整理範囲(上野・浅草・入谷・本所・深川)
センター・コア・エリア(根岸・向島・千住・亀戸・月島)
郊外(西新井・立石・柴又・小岩・葛西)

この範囲を地図で見ると、こうなる。

●都心部:神田・お茶の水のあたりから新橋くらいにかけて
都心部
都心部(クリックすると別ウィンドウでグーグルマップが開きます)
赤線は武蔵野台地の東端。この右側が下町に当たる。左側は武蔵野台地。
範囲について詳しくは「都心とセンター・コア・エリア」を参照。

●区画整理範囲:下図のあたり
震災復興事業による区画整理範囲
関東大震災後の帝都復興事業で区画整理された範囲の概要
(クリックすると別ウィンドウでグーグルマップが開きます)
範囲について詳しくは「下町の特徴:路地、町工場」を参照。

センター・コア・エリア(註):荒川と山手通りで囲まれたあたり
センター・コア・エリア(東京都都市整備局資料より引用)
東京都 都市整備局資料(新しい都市づくりのための都市開発諸制度活用方針、H19.4)より引用
(クリックすると別ウィンドウで拡大表示)
範囲について詳しくは「都心とセンター・コア・エリア」を参照。

●郊外:センター・コア・エリアの外側


あくまでも概要(註)なので、これできっちりと区別されるわけではない。「なんとなく、こんな感じ」といったところだ。この範囲内でも、例えば上野と浅草などはずいぶん違う。

つまり、下町っぽさにもいろいろあるということだ。

ここから見ると、下町のイメージに近い地域はセンター・コア・エリアの端の方、「荒川流域の、主に都心側」ということになるだろうか。

たしかに、神田や上野などはビルがほとんどで、なんとなく、「下町」という感じではない。
一方、戦火を受けていない墨田区京島のあたり(註)などは、まさに「ザ・下町」という感じだ。
立石や柴又などは「いかにも」だが、それは点としてであり、面としてではない。

江戸では正真正銘の下町だった日本橋や神田は、現在は都心部(=ビジネス街)になっている。
もっとも、江戸時代から、商業地域ではあっても住宅街ではなかった。考えようによっては、「400年間ずっと商業地域であり続けている」とも言える。

ただし、当時の移動手段は基本的には(註)徒歩しかなかったので、職場と住居は近くになければならなかった。

職人達が住んでいたのは長屋という名の集合住宅だった。
大商人の小僧達は、おそらく、店(の敷地内)に住んでいた。現在、都心部に住んでいる人たちは、マンションか自己所有ビルに住んでいることがほとんどだろう。
そういう意味からも、江戸時代からあまり変わっていないのかもしれない。

日本橋・神田・上野・浅草がそれぞれ別の街なのは、江戸でも東京でも変わらない。
向島・深川も同様に、また別の街。
京島・根岸・千住・立石などもそれぞれに違う。


これを「下町」とひとくくりにすると、それこそなんだか分からなくなる


「下町だから」といって、寅さんが日本橋の上で「都営浅草線(註)に乗ろうか、どうしようか」ともじもじしてたら、挙動不審で連行されるかもしれない。

柴又のとらやの店先でうろうろしてる寅さんは、見慣れている。お巡りが連行する先は交番ではなく、おそらく店の中だろう。

もっとも、やってることは、十二分に挙動不審ではある。
(了)



概要
挙げた範囲から、それまでの範囲を除いたものが、新しい範囲。
たとえば、「センター・コア・エリア」は、センター・コア・エリアの内側で、「都心部+区画整理範囲」以外になる。
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京島のあたり
京島の場所
このあたり(クリックすると別ウィンドウでグーグルマップが開きます)

地域としては、向島の東隣り、ということになる。
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基本的には
駕籠かご猪牙ちょき舟などもあったが、現在のバスや電車のように定時運行しているわけでもなかっただろう。そうなると、基本的には徒歩で移動していたことになる。

荷物は車両や舟でも運んでいたが、「馬車や人力車が江戸時代に公共交通として運行されていた」という話は聞いたことがない。
ちょっと距離のある移動などには船宿あたりから舟が使われていたが、それを「毎日の通勤の手段にしていた」となると、妙な感じがする。そういう使い方は、渡し船あたりが限界だろう。
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都営浅草線
柴又を通る京成電車に直通運転をしている。
なお、日本橋から柴又へ直通する列車は無い(2009年5月現在)ので、途中の青砥か高砂で乗り換える必要がある。
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【参考資料】
●鈴木理生 『江戸の川・東京の川』 井上書院、1989
●東京地図研究社 『地べたで再発見! 『東京』の凸凹地図』 技術評論社、2006
●正井泰夫 『城下町東京 付録・大江戸新地図』 原書房、1987
●越沢 明 『東京の都市計画』 岩波新書(新赤版 200)、1991

ホームページ
●国土地理院 地図閲覧サービス ウォッちず
http://watchizu.gsi.go.jp/index.aspx
●東京都 都市整備局 新しい都市づくりのための都市開発諸制度活用方針
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/seisaku/new_ctiy/index.html



つながるページ
都心とセンター・コア・エリア
「山の手」「下町」って、どこ?
山の手・下町の違いは「塀」?
江戸の下町、東京の下町


下町の特徴と範囲
●下町の特徴と範囲
下町の特徴:路地、町工場
下町の特徴:植木鉢、野良猫
下町の特徴:塀、道路



2009-06-27(土) | Trackback(0) | Comment(0)

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野口 賢治

Author:野口 賢治
齢四十有余。転勤で名古屋にいた一年半を除けば、生まれてこの方、東京暮らし。物心ついてからは、縄文時代には水の底だったあたり。しかも、一人暮らしを始めてからも、好き好んでその辺に。軟弱地盤が好きなんです。


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