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山の手・下町
山の手・下町と城南・城北
山の手・下町の話をしていて少々問題になるのが、城南と城北だ。
つまり、一般的に城東は下町、城西は山の手にされるのだが、南北はどうなのか、と。
かつての城下町から発展した都市には、城を中心に城東・城西・城南・城北という地域分けがある。
東京は、言うまでもなく江戸城の城下町がもとになっているから、この呼び方が使われることがある。
こちらも山の手・下町と同様に行政区画としての範囲の定義はないので、皇居を中心に22区(註)を機械的に大まかに分けると、こうなる。
元々、この東西南北の分け方からしても「なんとなく」で分けているわけで、同じくなんとなく分けている山の手・下町とくっつけると、さらにワケが分からなくなるのは当然のことだ。
東西はなんとなく山の手・下町にするとして、南北はなんとなくどっち付かずだ。これは、例の、地形の境界線上になっていることが理由のひとつだ。
では、城南城北それぞれをさらに東西に分けるとどうなるか。
城南の西側、目黒区や他3区の西側は、たしかに、山の手のイメージに合う。
では、東側はどうか。港区あたりはともかく、大田区の羽田あたりなどは下町と呼ぶのだろうか。
雰囲気としては、たしかに下町のような感じがする。
だが、「山の手も下町?」でも挙げたように、郊外にあたる地域は、西だろうと東だろうと下町的である。
東西の問題ではない。
城北はもっとややこしい。
区単位でばっさり切れば、文京区が山の手なのはいいとして、他の5区はかなりの部分が下町扱いされているのではないか。
豊島・板橋の一部が山の手になるのは、やはり武蔵野台地の上にあるから自然なことだが、それならば、「一部」ではなく「全部」になりそうなものだが、そうでもない。
これはまさに、「山の手も下町?」で挙げたように、街の成り立ちが比較的新しいからだろう。
さらに言えば、西はともかく、東だって、銀座を抱える中央区と小松菜の江戸川区を一緒にしていいものだろうか。いや、別に、小松菜が悪いってんじゃないんだけどさ。
こう見ていくと、ごちゃごちゃで、なにがなんだかよく分からなくなってくる。
城南・城北が「山の手」「下町」で分けにくいのは、根本的に、「山の手」「下町」が方位で分けられているわけではないからだ。
かつてはなんとなくそれでよかったのに、今はなんだか分からなくなっているのは、都市の構造が変わったから。もう、そんな、江戸時代の社会区分が通用しなくなっているから。23区内だけでも人口は8倍以上、面積は4.5倍以上(註)もあるのに、かつての区割りを使おうとしているから。
簡単に言えば、そういうことだ。
●22区:
●人口は8倍以上、面積は4.5倍以上:
つながるページ
●山の手も下町?
●山の手と下町
山の手と下町
●山の手と下町
●結局、「山の手」「下町」とは
●「山の手」「下町」のイメージ
●山の手・下町に東西がからむ理由
●江戸の山の手・下町
●山の手・下町と城南・城北
●なぜ食い違う?
●江戸と東京は別の街
●「山の手」「下町」って、どこ?
●山の手と下町の違いは「塀」?
つまり、一般的に城東は下町、城西は山の手にされるのだが、南北はどうなのか、と。
かつての城下町から発展した都市には、城を中心に城東・城西・城南・城北という地域分けがある。
東京は、言うまでもなく江戸城の城下町がもとになっているから、この呼び方が使われることがある。
こちらも山の手・下町と同様に行政区画としての範囲の定義はないので、皇居を中心に22区(註)を機械的に大まかに分けると、こうなる。
・東:中央、台東、墨田、江東、葛飾、江戸川
・西:新宿、世田谷、渋谷、中野、杉並、練馬
・南:港、品川、目黒、大田
・北:文京、豊島、北、荒川、板橋、足立
・西:新宿、世田谷、渋谷、中野、杉並、練馬
・南:港、品川、目黒、大田
・北:文京、豊島、北、荒川、板橋、足立
元々、この東西南北の分け方からしても「なんとなく」で分けているわけで、同じくなんとなく分けている山の手・下町とくっつけると、さらにワケが分からなくなるのは当然のことだ。
東西はなんとなく山の手・下町にするとして、南北はなんとなくどっち付かずだ。これは、例の、地形の境界線上になっていることが理由のひとつだ。
では、城南城北それぞれをさらに東西に分けるとどうなるか。
城南の西側、目黒区や他3区の西側は、たしかに、山の手のイメージに合う。
では、東側はどうか。港区あたりはともかく、大田区の羽田あたりなどは下町と呼ぶのだろうか。
雰囲気としては、たしかに下町のような感じがする。
だが、「山の手も下町?」でも挙げたように、郊外にあたる地域は、西だろうと東だろうと下町的である。
東西の問題ではない。
城北はもっとややこしい。
区単位でばっさり切れば、文京区が山の手なのはいいとして、他の5区はかなりの部分が下町扱いされているのではないか。
豊島・板橋の一部が山の手になるのは、やはり武蔵野台地の上にあるから自然なことだが、それならば、「一部」ではなく「全部」になりそうなものだが、そうでもない。
これはまさに、「山の手も下町?」で挙げたように、街の成り立ちが比較的新しいからだろう。
さらに言えば、西はともかく、東だって、銀座を抱える中央区と小松菜の江戸川区を一緒にしていいものだろうか。いや、別に、小松菜が悪いってんじゃないんだけどさ。
こう見ていくと、ごちゃごちゃで、なにがなんだかよく分からなくなってくる。
城南・城北が「山の手」「下町」で分けにくいのは、根本的に、「山の手」「下町」が方位で分けられているわけではないからだ。
かつてはなんとなくそれでよかったのに、今はなんだか分からなくなっているのは、都市の構造が変わったから。もう、そんな、江戸時代の社会区分が通用しなくなっているから。23区内だけでも人口は8倍以上、面積は4.5倍以上(註)もあるのに、かつての区割りを使おうとしているから。
簡単に言えば、そういうことだ。
(了)
●22区:
当然のことながら、千代田区は真ん中なので除外。
<戻る>
●人口は8倍以上、面積は4.5倍以上:
元にした数字は、以下の通り。
人口:江戸は約100万人、東京23区は約870万人。
面積:江戸は千代田・中央・港・新宿・文京・台東・墨田・江東各区合計約136平方キロ、東京は23区合計約622平方キロ。
人口:江戸は約100万人、東京23区は約870万人。
面積:江戸は千代田・中央・港・新宿・文京・台東・墨田・江東各区合計約136平方キロ、東京は23区合計約622平方キロ。
<戻る>
【参考資料】
●鈴木理生 『江戸の川・東京の川』 井上書院、1989
●東京地図研究社 『地べたで再発見! 『東京』の凸凹地図』 技術評論社、2006
●正井泰夫 『城下町東京 付録・大江戸新地図』 原書房、1987
ホームページ
●国土地理院 地図閲覧サービス ウォッちず
http://watchizu.gsi.go.jp/index.aspx
●東京都 都内区市町村マップ
http://www.metro.tokyo.jp/PROFILE/map_to.htm
●鈴木理生 『江戸の川・東京の川』 井上書院、1989
●東京地図研究社 『地べたで再発見! 『東京』の凸凹地図』 技術評論社、2006
●正井泰夫 『城下町東京 付録・大江戸新地図』 原書房、1987
ホームページ
●国土地理院 地図閲覧サービス ウォッちず
http://watchizu.gsi.go.jp/index.aspx
●東京都 都内区市町村マップ
http://www.metro.tokyo.jp/PROFILE/map_to.htm
つながるページ
●山の手も下町?
●山の手と下町
山の手と下町
●山の手と下町
●結局、「山の手」「下町」とは
●「山の手」「下町」のイメージ
●山の手・下町に東西がからむ理由
●江戸の山の手・下町
●山の手・下町と城南・城北
●なぜ食い違う?
●江戸と東京は別の街
●「山の手」「下町」って、どこ?
●山の手と下町の違いは「塀」?
2009-06-27(土)
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